何故、今COMTYは共同体を社名に掲げるのか。
「Community(共同体)の現代的意義」

私たちは、それぞれ独立した個人だと思っています。しかし同時に、個人は「不完全で弱い存在」でもあり、一人では生きていくことができません。どんな人でも必ず他の人との相互の助け合いを必要とし、お互い人の世話にならない人はいません。ですから、私たち個人は「相互依存的個人」とか「相互的個人」と言えるのではないでしょうか。
個人主義がさかんな現代に、一方で「共同体」(コミュニティ)というものの意義が強く思い起こされている理由がここにあります。共同体とは、個人を超える「いのちの相互交流の集まり」です。そのために私たちは、生産物や知識、情報、感性、価値を開発し蓄えていきます。それらを通じ、共同体の場で、私たちは歴史から、先人から、先祖から、いのちを受け継ぎ、お互いのいのちを支え合い、豊かな愛着と情緒のつながりを求めます。それがあってやっと、子孫をよりよく育てていくことができます。

いのちの集まりは、いろいろな「すがた」(相)で現れます。ですから、私たち個人がメンバーとなるコミュニティには、家族から地域、国家、地球へという広がりがあります。これらはだれもが所属し、必ずしも出入り自由ではありませんから、建物の土台のような不可欠の「基礎共同体」といえます。
これらのはざまに、出入り自由な「選択的共同体」が存在します(ただし現代の地域コミュニティでは、出入りは自由)。私たち各個人は、この基礎共同体に所属し、加えていくつもの「選択的な共同体」に所属しています。

新たな共同体、コミュニティは個人を生かすものでなければなりません。個人の自律を圧殺するのでは共同体としては失格です。むしろないほうがよいでしょう。
共同体とは、メンバーが「中心価値」を共有し、すすんでそれに献身するものです。この共有する中心価値が共同体(またメンバー)の目的となります。それは共同体に所属する個人が共通に受け入れる価値目的です。
そこで、共同体と個人との関係は応答的(責任を負う)関係です。その中でメンバー相互も応答的関係です。共同体は個人のニーズに応答する(責任をもつ)義務を負います。
パスポートには「日本国民たるこの人物をして貴国を安全に保護して通過させていただきたい」という意味の、日本国からの要請が書いてあります。ふだんは気がつきませんが、生命の安全保護を保障するという国家の(個人への)応答が行われているのです。他方、共同体のメンバーは、共同体のニーズに応答しなければなりません。共同体のニーズとは共同目的の実現です。
それはルールづくり、そのルールに基づくフェアプレー、正当な個人目的の保護、公共財(基本的人権、国土・自然資源、社会の制度、社会資本、文化、教育など)の生産と供給、それへの個人の参加です。これを通じて個人は相互扶助し合うのです。ここにメンバーの義務、つまり責任(応答すること)があります。
共同体(COMTY)とメンバーは応答し合い、その中でメンバーも相互応答するこれこそ新しいコミュニティ原理といえるのではないでしょうか。
文責=モラロジー研究所研究部 一部抜粋